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2007/02/23(金)

『[格差社会]貧困の罠』

週刊東洋経済
週刊東洋経済2/24号

「貧困の罠」今週発売された週刊東洋経済の特集記事です。
内容を箇条書きにしてみると、

  • 母子家庭の自立促進策が、母子家庭の生活を苦しめている
  • 消費税が支払えなくて廃業に追い込まれる零細企業経営者いる
  • 障害者自立支援法が障害者の貧困を生む
  • 仕事や医療の保障の無いホームレス自立支援策
  • 生活保護基準以下の生活のなかで働かざるを得ないワーキングプア、等々

「再チャレンジ」すらできない貧困の実態が書かれています。
そして、その貧困に陥る危機は多くの日本人のすぐ後にまでせまっている。

この記事を読んだ方は、「もっと貧困対策の給付金を増やすべきだ」とか「政府の支援策は生活の実態からズレている」、「自立というなら仕事をくれ!(安達祐実風に言ってみた)」などと思ったんじゃないでしょうか。

しかし、もう少し大きな視点で見てみると、もっと根本的な問題があります。
それは、どんな政策であっても、その政策の対象となる人々を法律で規定するという事の難しさです。

法律でどのように線引きしても、そこから漏れてしまう人や、必要の無い人まで対象者に含まれてしまうという問題が出てくる。

以前、「ワーキングプア (働く貧困層)」について、大田弘子経済財政担当相が、「どう定義するかわからなかった。明確でないものは政策の対象にできない」と述べたニュースがありました。

政策を決めるには、まず法律で対象者をどうやって線引きするかを決めなければならないということです。

そして、法的に貧しさを定義するのは非常に難しくて、本当に貧しい人のための政策ができるのかという懸念があったのでしょう。

これは、労働や生活の形態が多様化したのが原因なのですが、では、どうすれば本当に困っている人が救えるようになるのでしょうか?

法律の本質を考えた柔軟性のある解釈や運用が認められる社会であれば、法律の目的を明確にすることによりある程度実社会に適した法律運用が可能かもしれません。

しかし、法律が本来の目的を離れて一人歩きして、善意でやろうとしたことが「ルール違反だから認められない」とか、法を悪用する者によって、善意の人達が損をする社会では、抜け道がない、がんじがらめの法律を作っていくしか方法はないでしょう。

そして、そんな柔軟性の無い法律の場合、社会が変化すれば、法律の想定外の事態が必ず起こるでしょうから、そのたびに法律を改変していかなければなりません。

このへんのことは、磯崎哲也さんのブログ「キリスト教のベースがない日本は「法化社会」になれるのか?」のエントリーが参考になるかと思います。

といっても、そうそう簡単に変わるわけないね

そこで思いきって、責任と権限を現場の役所に委譲するというのはどうでしょうか?

各自治体の現場の判断で法の適用範囲を決められる代わりに、その法律本来の目的を達成させる責任を負わせるという現場主義の考え方です。

貧困対策ならば、生活保護基準以下の生活者すべてに、生活保護給付金を支給するか、生活保護基準以上の生活の出来る職に付けるまでスキル教育や住居提供、職業紹介をする責任を課す。

その代わりに、生活保護給付金の対象基準などをケースバイケースで決めれる権限を現場の各役所に与えるというものです。

自治体のお役人さんが権力を持つのは怖いなあと思う人もいるかもしれません。

でもこれが民間企業だったらと考えてみて下さい、
トップダウン方式の経営で命令がなければ動かない社員のいる会社と、
現場の社員に決定権が与えられていて、自主的に仕事を進めていく社員のいる会社と
どちらが成果をあげられる可能性が高いでしょうか?

きっとお役所の人って、責任と権限を与えられた方が良い仕事してくれると思うんだけどなあ。

お役所の仕事が効率的になり、法律が柔軟に適用される一石二鳥な方法だと思うのですが、どうですか?

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wolfy
日本の給付問題というのは、OECDのレポートでも、表面の収入という点では日本は格差が少ないが、給付による再分配効果が少ないことによる格差拡大が起きている、という指摘があります。

民間に任せれば全て解決するというのも、今後自治体の破綻が生じうる状況では官民の実際上の差異が無くなってくるでしょう。個人的には80年代までの「銀行はつぶれない」という類の迷信であると思っています。

要するにこの点は評価システムの問題であると思います。ただ、評価の問題は国民共通の問題であるだけに、その点の価値観の崩壊・再構築なしには、根本的な解決は無いのだろうと思います。それがあっての「再チャレンジ」だろうと。ところが特別会計には手は付かない、依然としてある箱物行政等。そこにはメンテナンスコストすら計上されていない。そこには「国民の選んだ議会」が無能にも予算を通してしまうという事実がある。ただ有権者はその代議士に対して連帯責任を負うわけだから。

だからこそ有権者として考えなきゃいけないことはたった「1つ」なんですが、それが機能していないと判断してしまうと民主主義の崩壊で、皮肉を込めて言えば「アメリカに押しつけられた民主主義」を放棄して、どこに行くべきなんでしょうかね、という気すらします。
2007/02/24(土) 09:06:28 | URL | [ 編集]
peng
う~ん
これって結局、日本全体のコンプライアンスの問題に行き着くんですかね
正しいことをした方が良いのは分かっていても、長いものには巻かれてしまうのが、日本人の悲しい性。
なんとかしないと、なんて思っていても、なんとかできない。
難しいすっね。
2007/02/24(土) 10:36:48 | URL | [ 編集]












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