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2011/09/06(火)
自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472)
他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901)
コメントを残そうかと思ったけど長文になってしまったので、トラックバックすることにした。
とても分かりやすく読みやすい記事なので、是非ご一読を!
このブログ記事には長文のコメントもたくさん入っていて、しかも、否定的、肯定的なコメントに分かれています。
このブログやタイトルに否定的なコメントは、アダルトチルドレンについてご存知ない方の典型的な意見。
「自分が嫌われないために気を遣う人」は、普通の気を遣う人とは、気を遣う動機が違います。
その違いがわかっている人と分からない人では、このブログの見方が180度変わると思われます。
アダルトチルドレンは自己が未成熟なので、自己評価や自己肯定が苦手で、他人の下す評価をそのまま自己評価として受け止めてしまいます。なので、他人からの評価を異常に気にします。それ故に、「自分が嫌われないために気を遣う人」になってしまいます。
アダルトチルドレンでなくても、良い人を演じようとする人もいますし、良心やモラル意識から、他人に気を遣う人もいます。
しかしアダルトチルドレンは、良い人を演じなくてはならないという強迫観念から、気を遣います。
他人からの評価=自己評価なので、他人から否定的なこと言われることは、自己否定したのと同じです。
だから、常に、自分の発言や行動で他人に嫌われないように気を遣います。
そのような人がいることを知らない人からすれば、このブログ中のアダルトチルドレンなお母さんは、単に他人に気を遣っている人に見えるでしょう。
アダルトチルドレンは、自分の意見、自分の本心が、自分自身でもよく分かりません。
なので、自分の意見を言わなけれならないときは、自分が嫌われなさそうな意見を言います。
優等生な面白くない意見です。
他人とのコミュニケーションでは、相手を理解することより、自分が嫌われなさそうな意見を言うことに腐心します。
自分の本心を語ることはありません。
結果的にコミュニケーション下手で、他人の気持ちを汲むことも苦手です。
他人の気持ちを上手く汲めないアダルトチルドレンがする他人への気遣いは、どこかずれているので、気を遣われる側も迷惑なことがあります。
ブログ中に出てくる「お隣さん」の言う、「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という言葉はそこらへんがきていると思われます。
アダルトチルドレンは、自己が確立していないため、「他人は、他人。自分は自分。」という当たり前の区別ができないことがあります。
特に、我が子の場合は、独立した人間としてではなく、我が物のように考える傾向があります。
しかし、自分の本心が見えないため、我が子を自分のモノ扱いにしていることに気がつきません。
自分と子供の間の区別ができないと、自分がやらなくてはいけないと思い込んでいる、良い人を演じなければならないという強迫観念をも子供に押し付けます。
決して子供のためにと思ってしている行動ではないのですが、第三者からみると、教育熱心か、過保護にしか見えないので、子供が苦しんでいても、なかなか、その苦しみが他人には理解されません。
このブログのコメントでも、お母さんを支持するコメントがチラホラと見受けられます。
しかし、他人の気持ちを汲むことなく行う気遣いは、誰も望んでいない気遣いです。
誰も望まない、本人すら望んでいなくても、やらなくてはいけないと思い込んでする気遣い、良い人を演じることを、アダルトチルドレンな親は子供に強制するのです。
「うわべだけの気遣い、本心をみせることなく良い人を演じる」なんてこことを子供の頃から続けていくと、自分自身でも、自分の本心が、分からなくなり、他人の気持ちを理解するコミュニケーションスキルも育たなくなります。
そして、自己が未成熟のまま大人となり、自己評価、自己肯定が苦手なアダルトチルドレンとなるのです。
自分の本心も他人の気持ちも理解できない人間に育てることが正しい教育でしょうか?
もし、あなたが、今日から自分の本心を捨てて、「自分が嫌われないために気を遣う人」を一生演じて暮らしなさいといわれたらどんな気持ちでしょうか?
そんなことを強制する親を尊敬しろといえますか?
yuhka-uno(ブログ主)さんが、母親の教育を否定し、本心の自分(一人で絵を描いていたマイペースな私)を肯定するということは、「自分が嫌われないために気を遣う人」より、「自分自身を素直に見ることができる人」という生き方を選んだということでしょう。
自分の本心を隠したままの良い人を演じている自分が失敗した場合は、行動を修正をしても嘘の上塗りをしているだけで、「積み上がっていかない失敗を繰り返している」状態だが、
「一人で絵を描いていたマイペースな私」を理解した上で、積み上げていく失敗は未来に活かせる経験となり自己の成長につながるということが言いたかったのだと思います。
この記事をきっかけにアダルトチルドレンについて理解してくれる人が増えたらいいなと思うしだいです。
自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472)
他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901)
他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901)
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とても分かりやすく読みやすい記事なので、是非ご一読を!
このブログ記事には長文のコメントもたくさん入っていて、しかも、否定的、肯定的なコメントに分かれています。
このブログやタイトルに否定的なコメントは、アダルトチルドレンについてご存知ない方の典型的な意見。
「自分が嫌われないために気を遣う人」は、普通の気を遣う人とは、気を遣う動機が違います。
その違いがわかっている人と分からない人では、このブログの見方が180度変わると思われます。
アダルトチルドレンは自己が未成熟なので、自己評価や自己肯定が苦手で、他人の下す評価をそのまま自己評価として受け止めてしまいます。なので、他人からの評価を異常に気にします。それ故に、「自分が嫌われないために気を遣う人」になってしまいます。
アダルトチルドレンでなくても、良い人を演じようとする人もいますし、良心やモラル意識から、他人に気を遣う人もいます。
しかしアダルトチルドレンは、良い人を演じなくてはならないという強迫観念から、気を遣います。
他人からの評価=自己評価なので、他人から否定的なこと言われることは、自己否定したのと同じです。
だから、常に、自分の発言や行動で他人に嫌われないように気を遣います。
そのような人がいることを知らない人からすれば、このブログ中のアダルトチルドレンなお母さんは、単に他人に気を遣っている人に見えるでしょう。
アダルトチルドレンは、自分の意見、自分の本心が、自分自身でもよく分かりません。
なので、自分の意見を言わなけれならないときは、自分が嫌われなさそうな意見を言います。
優等生な面白くない意見です。
他人とのコミュニケーションでは、相手を理解することより、自分が嫌われなさそうな意見を言うことに腐心します。
自分の本心を語ることはありません。
結果的にコミュニケーション下手で、他人の気持ちを汲むことも苦手です。
他人の気持ちを上手く汲めないアダルトチルドレンがする他人への気遣いは、どこかずれているので、気を遣われる側も迷惑なことがあります。
ブログ中に出てくる「お隣さん」の言う、「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という言葉はそこらへんがきていると思われます。
アダルトチルドレンは、自己が確立していないため、「他人は、他人。自分は自分。」という当たり前の区別ができないことがあります。
特に、我が子の場合は、独立した人間としてではなく、我が物のように考える傾向があります。
しかし、自分の本心が見えないため、我が子を自分のモノ扱いにしていることに気がつきません。
自分と子供の間の区別ができないと、自分がやらなくてはいけないと思い込んでいる、良い人を演じなければならないという強迫観念をも子供に押し付けます。
決して子供のためにと思ってしている行動ではないのですが、第三者からみると、教育熱心か、過保護にしか見えないので、子供が苦しんでいても、なかなか、その苦しみが他人には理解されません。
このブログのコメントでも、お母さんを支持するコメントがチラホラと見受けられます。
しかし、他人の気持ちを汲むことなく行う気遣いは、誰も望んでいない気遣いです。
誰も望まない、本人すら望んでいなくても、やらなくてはいけないと思い込んでする気遣い、良い人を演じることを、アダルトチルドレンな親は子供に強制するのです。
「うわべだけの気遣い、本心をみせることなく良い人を演じる」なんてこことを子供の頃から続けていくと、自分自身でも、自分の本心が、分からなくなり、他人の気持ちを理解するコミュニケーションスキルも育たなくなります。
そして、自己が未成熟のまま大人となり、自己評価、自己肯定が苦手なアダルトチルドレンとなるのです。
自分の本心も他人の気持ちも理解できない人間に育てることが正しい教育でしょうか?
もし、あなたが、今日から自分の本心を捨てて、「自分が嫌われないために気を遣う人」を一生演じて暮らしなさいといわれたらどんな気持ちでしょうか?
そんなことを強制する親を尊敬しろといえますか?
yuhka-uno(ブログ主)さんが、母親の教育を否定し、本心の自分(一人で絵を描いていたマイペースな私)を肯定するということは、「自分が嫌われないために気を遣う人」より、「自分自身を素直に見ることができる人」という生き方を選んだということでしょう。
自分の本心を隠したままの良い人を演じている自分が失敗した場合は、行動を修正をしても嘘の上塗りをしているだけで、「積み上がっていかない失敗を繰り返している」状態だが、
「一人で絵を描いていたマイペースな私」を理解した上で、積み上げていく失敗は未来に活かせる経験となり自己の成長につながるということが言いたかったのだと思います。
この記事をきっかけにアダルトチルドレンについて理解してくれる人が増えたらいいなと思うしだいです。
自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472)
他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901)







